日本放浪録(6) 長崎史跡めぐり

長崎旅行四日目
朝早くにホテルを発ち、8時開館の出島和蘭商館跡へと行った。30分しかないため何とか全部観きろうと頑張ったが、さすがに無理だった。だが、再入館も可能らしいと聞いたので、学会終了後に再度出向くことにした。

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朝の冷たい風の中歩く出島にはお侍さんもいた。シーボルトの庭園や砂糖置き場、並びに当時の建物も再現されており、雰囲気が楽しめた。

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出島の町並み再現。真ん中にお侍さんもいる。

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シーボルトの庭園。西欧の果物を育ていたという。

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当時の出島のミニチュア模型。

とにかく、江戸末期の出島の雰囲気がよく出た場所だった。

その後学会会場へ行く。午前中のみ無脊椎動物に関する講演を聞いた後、お茶とお菓子の時間を過ごして出発。

まず、長崎原爆爆心地付近へと向かった。此処だけは前から赴きたかったし、日本人として見ておかねばならないと思ったからだ。ただし、天主堂やペンギン水族館は行けなかったので、次回来訪時に見学したいと思う。

原爆公園。その日(11月3日)は非常に快晴だった。雲ひとつない空の下、鳩たちが穏やかに羽を伸ばしていた。そして、平和を祈った巨大な石像も健在であった。

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また、多くの像が公園に並び立ち、核兵器の恐怖と平和の貴さを訴えていた。

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母子の像。

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被爆当時の地層について。

その後、原爆資料館へ。覚悟はしていたが、やはり衝撃的だった。原爆の被害状況が余すことなく展示されていた。暗く不気味な長崎原爆を再現した展示は、非常に恐ろしかった。加えて、原爆の後遺症の記録についても。

隣にあった祈念館へも足を運んだ。ここは犠牲者たちへの祈りのための場所だった。ガラスと静寂が織り成す、死者達への祈りの地だ。勿論、撮影は禁じられている。よって此処の写真はない。そもそも撮る気にもなれなかった。私も静かに手を合わせ、折り鶴を何羽か折ったあと静かに後にした。

その後、館内レストランでエビチャーハンを食った。美味かったが、後になってパフェでも良かったかなと後悔した。

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エビチャーハンとわかめスープ。勿論、許可を得て掲載。

その後、何冊か長崎原爆に関する書籍を購入したあと、シーボルト記念館に向かう。その際路面電車の中で居眠りをしてしまった。連日の学会で、やはり疲れていたのだろう。

記念館はもっとも近い駅から歩いて15分ほどである。思っていたよりも小さな博物館だったので驚いた。また、敷地内にはシーボルトの植物園跡もあった。ここにもツワブキが生えていた。

その後、記念館を見学し、シーボルトの歩んだ歴史について学ぶ。というか、シーボルト事件とかすっかり忘れており、医者かつ日本の動植物の研究者だと思い込んでいた・・・。恥ずかしい限りである。

何はともあれ、彼が日本を非常に愛し、日本の自然史研究や医学の発展に多大な貢献をした偉人であることはよくわかった。正直、この展示をここだけにとどめておくのはもったいない展示であった。シーボルトの絵も、日本の動植物の研究には大いに役立つものであるわけだし。残念ながらここも撮影禁止が殆どであったので、写真は表玄関と庭園跡のみとさせていただく。

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シーボルトの植樹した木。

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シーボルト記念館入口付近。

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左から順に、シーボルト、たき、いね。ここは撮影可能だった。なお、いねは幼少期の肖像画を参考にしている。成人後は非常に美人だったとか。

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記念館付近の道路。彼の居住地に建てられたものだが、長崎中心部からはだいぶ離れていた。

その後再び出島へ赴く。

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時代劇の小悪党が突き飛ばされて、巻き添えで破壊されそうな桶である。勿論突き飛ばすのは徳田様や助さん格さんである。

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発掘調査で見つかったウシの骨。食用だったらしい。

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当時使われていたリボルバーの銃。しぶいっッ!

当時のビリヤードを楽しんだり、展示の撮影を行なったりした。係のおばさんが丁寧に当時の遊びを解説してくれて、楽しく遊べた。

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当時のビリヤード台を再現したもの。現在とはややルールが異なる。

その後急いで土産を購入し、猛スピードで福岡へと戻った。だが、残念ながら時間がなく、らーめんを再び口にすることはできなかった。残念である。

その後、福岡空港から飛行機で大阪へ。トラブルでちょっとフライトが遅れたが特に問題はなかった。そして関西到着後、関空のすきやでおくら牛丼?を食べた。ネギたま牛丼のほうが私は好きだ。オクラ牛丼も独特の味があって美味かったが。

その後、和歌山駅まで終電で向かい、近くのカラオケ屋で一泊する。というのも、この駅の付近に宿泊地はあるもののいずれも高額だからだ。ならば、安価なカラオケ屋で一晩過ごしたほうがマシというわけだ。
そして、映像見たさにウルトラマンのOPやライダーOPを流しまくった。
『ELEMENTS』(仮面ライダー剣2ndOP)や『Lost the way』(ウルトラマンサーガ主題歌)を歌いまくるが、あまりカラオケに行ってなかったせいか、点数ははかどらなかった。

ちなみに流れた映像のリストがこちら。

ブレイドOP(ELEMENTS)⇒46話の映像

ダブルOP⇒48、49話の映像

キバOP⇒最終回の映像

ウィザードOP⇒50話、51話の映像

帰ってきたウルトラマン⇒5・6話(だったと思う)

龍騎のRevolution⇒サバイブ初登場回

ウルトラマンサーガ⇒AKBのダンスと時々ウルトラマンサーガが出てくる

かなりネタバレしまくってるので、ダブルキバウィザードをこれからご覧になる方は、ご注意ください。

翌日、白浜まで帰還。非常に長旅でその日は一日ぐっすり休んで過ごしたのであった・・・

今回は諫早湾や有明海に行けなかったことが非常に残念だ。次回来訪時には是非とも訪れたい。

また、動物行動学の最新の研究のみならず、長崎の歴史についても直に見ることができ、大変興味深い旅行であった。また長崎を訪問したい。今度は皿うどんとカステラを腹いっぱい食べるぞ!!(笑)

余談

前から気になっていたこと、非常に品のない質問なのだが、館長さんに尋ねてみた。幼少期、おらんだおいねの伝記などを読んでどうしても知りたいことがあったからだ(気分を悪くする方もいらっしゃるかもしれないので、念のため「続きを読む」にしときました)。

※この先には人によって不快な内容が含まれている可能性があります。ご注意ください。

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白浜風土記(26日目) おっとっと系統樹のすすめ

本日、実験所に若い少年少女たちが実習に来た。そして、研究者の実態の生の声を聞くという名目で、実験所の院生と若い少年達との間でお菓子を食べながらの交流会が開かれた。

が、口下手な私は何を言っていいのかわからず頓珍漢なことやネガティブなことばかり言ってしまい、挙句の果てに過度に緊張して全く言葉が出ず、「三食ちゃんと食べて健康を第一に。研究者は人とのつながりが大事である(キリッ」と締めに言う有様だった。

正直、若者達の夢を壊したのではないかと心配している。

だが、そんな中でも収穫はあった。

私は若人達に、におっとっととじゃがりこを並べて系統樹の概念を説明した。エビとカニは甲殻類の仲間で、タコとイカは軟体動物の仲間で・・・。といった具合だ。

その時、おっとっとの生き物を使って、もっと系統樹を広げられないか試してみた。

ちょっと挙げるだけでも、おっとっとには軟体動物(蛸・烏賊)・節足動物(海老・蟹)・脊椎動物(魚、亀)、棘皮動物(海星)がいる。

適当に並べてみた結果がご覧のとおりだ。(軟体動物にどれだけ近縁かで並べてみた。海星と脊椎動物の系統的位置はいい加減である)

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(左から順に、カメ、ヒラメ、マグロ?、マンボウ、ヒトデ(多分イトマキヒトデ)、カニ、エビ、タコ、イカ)

烏賊が、いやいかがだろう。

なんと、ちょっと市販のお菓子をいじくるだけで立派な系統樹になってしまうのだ・・・! 海の生命を見事に模したおっとっと。もしかしたら、教材としても有力な素材となるかもしれない。とりわけ、小さい子供達に系統樹の概念を教えるのにも役立ちそうだ。

ところで同じことを考えた方がいないか、ネットで検索を掛けたところ発案者が他にいなかった。

とりあえず、このことを発見した『一応の』第一発案者の証として私はこの記事をここに示す。

もし同一の事を過去にお考えになった方がいらっしゃったら、当ブログのコメント欄にご記入ください。第一発案者の権限をお譲り致します。

白浜風土記(25日目) トマチーおじやを召し上がれ

本日、寮にお客が来た。というわけで、再び私が夕飯を担当することになった。

今日はやたらと寒いし手短に作りたいので、本日の夕食は鍋にした。

作ったのは鶏肉鍋。大根やネギなど、定番を揃えたメニューだったが、少々味が薄いと言われる。もうちょっと濃い目にしておくべきだったと反省した。

さて、鍋とくれば〆はおじやというのが定番である(※場合によっては、ラーメンやうどんもある)。そこで本日は、私が茨城の某料理店で学んだ特製のおじやを披露した。

その名も、「トマチーおじや」(※私が勝手に命名)である。

そのおじやだが、作り方は簡単である。

鍋の残り汁にごはんを入れ、溶いた卵をかけ、スライスチーズを乗せて、トマトの刻みを混ぜ合わせて熱すれば完成だ。非常に簡単である。

ただし、今回は電子レンジでやってしまった。そのため卵が半熟になってしまった上(卵は新鮮なので問題ない)、ちょっと時間がかかりすぎてしまい、申し訳ないことをした。

だが、時間をかけたのが良かったのか、素材の味が生きていたのか、幸いにも美味しいと評判であった。さすがあの店で学んだ料理は格が違っていた。あの料理店の店長には感謝してもしきれない。

なぜ『トマチーおじや』(命名者:私)はこうも旨いのか? 何故かといえば、トマトとチーズはやたらと相性が良いからなのだ。酸味と塩味がいい感じにマッチングするのだ。それこそ、「ピサ」の斜塔で「ピザ」を食べるのと同じくらい相性がいい(意味がわからないですよね? 私もです!)。

この寒い季節におすすめの一品である。チーズをカマンベールにして試してみてもいいだろう。

白浜風土記(24日目) 白浜に白雪降る

先日忘年会に参加した。鍋が非常に美味しかった。おじやも美味しかった。

二次会のカラオケ屋では、「SURPRISE-DRIVE」を二回も歌っていた。二次会は深夜まで及んだが、日付も変わる頃に解散となった。シンデレラもとっくに舞踏会から逃げ出す時間だ。無理もない。その後、タクシーに乗ると、窓から白い粉のようなものが飛び交っているのが見えた。

「すごいっすよ! 雪が降ってますよ!」

大寒波が日本全国に寒さをもたらしているとはいえ、まさか南紀白浜で雪を見るとは思わなかった。地元のタクシードライバーの方によると、5年に1度くらいはちょっとだけ積もることもあるという。残念ながら(?)積もることはなかった。南国に近い場所で雪を見るという、珍しい経験をした夜だった。

それにしても、凍えるような寒さも、強い寒風も、降雪と共にあれば何故か許せてしまう。

それはすぐに溶けてしまう雪の儚さゆえ、寒さがそのうち終わると錯覚されるからだろうか。

それとも、白いダイヤモンドの美しさが人の心を満たすからであろうか。

白浜風土記(19日目) 白浜買物事情(※温泉街周辺)

白浜は買い物が大変である。私の住む寮から一番近いコンビニまで、どのくらい離れているだろうか?

答えは約2kmである。しかもまっすぐな道ならいい物を、海岸沿いのくねくね道を通るしか道はないのである。そのため徒歩ならば15分はかかってしまう。よって、この付近に住む人々は全て車なり原付なり自転車なりと、何らかの移動手段を備えているのが常である。とは言え、たとえ2km先でもコンビニがあるのは非常にありがたいものだ。そもそも入江の近くにある研究所で、ちょっと行けばコンビニがあるだけでも良い方であろう。

また、買い物できる品も限られている。食料や医薬品や衣服など、生活必需品は2kmも遠くにあるスーパーマーケットに行けば購入できる。

この点については特に問題ない。品揃えもしっかりしており、これらの点は満足できる。

ルマンドもウォッカもあれば、アイスクリームもあるし、ゴム風船だって売っているのだ。フィオリナとは訳が違う。

だが、本となると話は別である。私の知る限り、本屋は温泉街周辺において一つも存在していない。駅の近くなら幾つか書店もあるのだが、さすがに遠すぎる。よって、白浜でマトモに書籍を購入できるのはコンビニくらいしかないのだ。それも大半が漫画本や雑誌である。

それでは図書館はどうだろうかといえば、答えは否である。

苦言を申し上げたくはないが、白浜の図書館には鮮度ある科学(もとい生物・古生物の)書籍が十分に揃っているとは言い難い。小説などはある程度備わっているが、科学的知識を得るために足繁く通う場所としてはおすすめできない。もちろん、地理的な関係で仕方ない面があるのは重々承知している。

よって、ここで恐竜や天文学の書籍などの(海洋生物関連ではない)ジャンルの読書を楽しみたければ、より大きな書店や古本屋のある田辺市まで足を伸ばすか、インターネットを駆使して電子書籍やアマゾンやヤフオクなどを購入するしかないのだ。もちろん、私は後者の手段を多用している。

というわけで、白浜の買物事情と読書事情について概説させて貰った。もし当ブログの読者の方で、白浜に長期滞在する学生または読書好きの方がいらっしゃったら、此処での読書機会は、何らかの工夫をしない限り大いに減ることに注意していただきたい。

※フィオリナについてご存知ない方は、「エイリアン3」をご覧下さい。

・・・・と、ステマしてみます(笑)

白浜風土記(23日目) オオスズメバチ、寝床を探す

先日、昼食を取りに寮へ戻ろうとしたところ、座って何かを見ている実験所の職員さん達がいらっしゃった。何かと思って尋ねると、ちょっとギョッとなって、ピョンと下がってしまった。

そこにいたのはオオスズメバチ(Vespa mandarinia)だった。

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だが、幸いにも人を襲うことなくフラフラとアスファルトの上を歩きまわっていた。昆虫界最強と誉れ高い(?)恐るべしオオスズメバチも、こうなってはちょっと可哀想だった。私は写真撮影後、静かにその場から離れた。

昼食後に戻ると、既にどこかへと去っていた。一体どこへ行ったのだろう。冬眠場所を探していたのだろうか?

調べてみると、どうやら越冬するのは女王蜂と女王候補のみらしい。

このハチがオスかどうか、不幸にして分からない(どなたかご存知の方がいらっしゃったら教えてください)。

だが、もし女王候補なら、来春まで生き残ってほしい。そう願わずにはいられなかった。

でも、毒針で刺してくるのは勘弁な!!

第2回たんば恐竜塾レポ(2日目)

2日目は徳川さんのタンバティタニス骨格組立講座です。
小田隆さん製作のタンバティタニスの骨格(といっても頚椎や脚は見つかっていないので、近縁種からの推測ですが・・・)シールを組み立てる作業を行いました。

ちなみに私の作ったポーズ がこちら。

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・・・見事に無難です(笑) 無難オブ無難といった感じで無難です。

ちょっと頭と首が大きく見えますが、これは立てた状態で撮影したためです。平面から取ると下のような出来に。(ポストイット形式の材料なので何度も貼り直しが可能なのです!)

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・・・恐竜ファンのみなさん、どうぞ突っ込みを入れてやってください(笑)

中には敢えて変化球で、「荒ぶるバロサウルスのポーズ」や「丹波竜の産状図」を作った方もいらっしゃいました。
こういう変化球を付けられる工夫は、とても凄いと思います(特に後者)。
また、今回組立をされていた皆様の復元を見て思ったのが、脚に対してはゾウのイメージが強い方が多いように思われました。重量系の動物ということで、ゾウを連想しやすいのでしょうか。

昼食後は、ちーたんの館を見学しました。
デイノニクスの手首が新復元に直されている点にご注目。
ファルカリウスやガストニアなど、ほかでは滅多に見られない恐竜の骨格も展示してありました!

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更には書庫に、なんと90年代発刊された某恐竜雑誌の蔵書なども・・・!

(名前は聞かれたら答えますw)

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マラウィーサウルス。今回は特別展のため、丹波にやって来ました。

ここでは、2種を並べて、その骨格の違いについて説明していました。

尾椎や血道弓など、多くの点に違いが見られます。

その後車で移動し、兵庫県立人と自然の博物館を見学しました。

車内では恐竜倶楽部についてのお話を伺うことができました。ちなみに私も就職したら入会する予定です。

そして、化石クリーニングの様子を見たり、マストドンを見たりした後、解散しました。

気温は非常に寒かったですが、様々な方面からのお話を伺えて非常に楽しく、胸が熱くなるイベントでした!
次の恐竜塾が楽しみです!!

今回参加してわかったこと。まず確実に言えるのは、

恐竜塾は参加して絶対に損はありません!

普段聞けないような疑問も、生の声を聞かせてもらえるイベントです!

当ブログをご覧の読者の皆様(一部は参加者もいらっしゃいますでしょうけど)も、次回はぜひご参加を検討されてはいかがでしょうか。
・・・ただしむっちゃ寒いので、ちゃんと防寒具を用意しておきましょう(笑)

第2回たんば恐竜塾レポ(1日目)

第2回たんば恐竜塾レポ(1日目)

先日、たんば恐竜塾に行ってまいりました!
というわけで、レポートを書かせていただきます。
では、そもそもたんば恐竜塾とは何か? ご説明しましょう。
現在、海外ではパレオフェスタ(Paleofesta)と呼ばれる古生物学者と一般層との交流イベントが 行われています。

それを日本でもやることができないものだろうか? との考えから始まった企画です。

前回は、カメを中心的に研究されている平山廉先生をお招きしてのご講演が行われました。
今回のゲストは、大阪市立自然史博物館の林昭次先生です!
なお、進行と二日目のタンバティタニス骨格組立教室はパレオアーティストの徳川広和さんが担当されました。

 

開催場所は、丹波竜化石工房 ちーたんの館での実施です。

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↑ちなみにこんな場所です。復活した丹波竜によって破壊されています(笑)

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デデーン!!

 

林先生は、剣竜と鎧竜の成長や尾のトゲの構造、およびそこから推測される生態についての研究をさ れている方で、多数の論文も執筆されている、世界有数の剣竜の研究者です!

考えてみると今回、その世界有数の古生物学者と同じ机でご一緒にお食事させていただくという、スゴいことをさせていただきました・・・!

また、集まった方も老若男女様々な方々が集まりました。今回は小学生の参加者もいらっしゃいました。

最初は林先生も交えて、丹波竜の発見者のひとり・村上茂さんのご案内で丹波竜発掘現場まで行きました。村上さんは定年退職後、町おこしのため、もう一人の発見者である足立洌さんと活動なされていた時に、丹波竜を発見されたそうです。当初は生痕化石(サンドパイプ)を探されていたとか。

その後恐竜であることが判明し、丹波市によって発掘が開始されました。そして、日本でも珍しいレベルの保存状態の良い化石が発見され、今に至るというわけです・・・!

発掘現場は、現在コンクリートで護岸されており、丹波竜の絵が描かれていました。ちなみに発掘現場の実物大の丹波竜の立て看板は、村上さんのお手製です。赤褐色の体色は、発見された地層をイメージしているそうです。

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発掘現場付近の川です。

なお、発掘現場付近は現在整備されており、無許可での採集は法律により罰せられる可能性があります。ご注意ください。

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発掘現場。現在はコンクリートで護岸されています。まさかこの上に立つ日が来るとは・・・・!!

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発掘現場を歩いた後、篠山層群の岩石を割り、化石発掘体験も行いました・・・。

が、残念ながら今回は成果がありませんでした・・・! (泣
今後の大発見に期待です・・・!

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帰りは丹波竜を模した「恐竜焼」を食べ、お茶を飲んで冷え切った身体を温めました・・・!
その後、館に戻り、林先生による鎧竜についての講演も行われました。

おもな内容は次のとおりです。

・アンキロサウルス科の鎧は、防弾チョッキのような頑健な構造でできている
・ピナコサウルスは幼体化石がひとつの場所から大量に発見されていること、またその鎧は未成熟だったことが判明
・子育てをするワニも幼体の鎧が未発達であることから、ピナコサウルスも子育てもしたと考えられる
・丹波竜の年齢や雌雄も、骨の断面図を見ればわかるかも知れない

質問や議論も、大変興味深いものが出ました。以下はQ&Aの抜粋版です。

Q.恐竜の骨を切ったり穴を空けることには反対されないのですか?
A.ダメージを最小限にする処置を行うと説得します。また、処理後に修復することもあります。
場合によってはレントゲンによる解析も行います。
ドリルで親指くらいのサイズの穴を空け、サンプル採取は最小限の大きさにします。(林先生)

Q.スケリドサウルスの鎧の強度は?
A.確かに中身の構造は密ではなくスカスカでしたが、けっして脆いわけではありませんでした。
現生のワニとほぼ同じくらいの強度です。(林先生)

Q.鎧竜の群れ同士の距離は?
A.どこまでがひとつの群れだったかはまだわかっていません(林先生)

Q.前回の恐竜塾で平山先生が「剣竜糞食説」を紹介していますが、どうお考えでしょうか?
A.剣竜の胃内容物が発見されていない以上、断言はできません。しかし、歯の構造はイグアナ(植物食)によく似ていたと思います(林先生)。
(※糞の栄養価についても議論され、参加者からは「ジンベイザメのように、たくさん食べれば栄養分を補うこともできたのでは?」とのコメントも

Q.鎧竜の尻尾の動きは?
A.腱によって固定されているため、横にしか動けませんでした。(林先生)

Q.ステゴサウルスの生活環境は?
A.サバンナみたいな場所ではないかと考えられます(林先生)。

(筆者注:ただし、サバンナ的環境といっても、下草や芝生などいわゆるイネ科植物の草原はありませんでした)

 

ちなみに私が聞いた質問はコチラ。

Q.ケネス・カーペンター博士の好きなゴジラシリーズの作品は何ですか?(※カーペンター博士はゴジラが大好き)
A.初代ゴジラです(徳川さん)

Q.鎧竜半水生説は現在どうなっていますか?
A.今のところ何とも言えません(林先生)

・・・え?ロクでもない質問ですって? 

だって、聞いてみたかったんですもん!(笑)

その後、林先生は多忙につき、名残を惜しみつつ夕飯後ご帰宅されました。それでも、時間ギリギリまで参加者と鎧竜や剣竜の様々なお話で盛り上がりました。

夕飯時には鳥の骨格のポーズを取ってくださった方もいらっしゃって、非常に驚きました。
なんと、あまりにもポーズがよくできていたのです・・・!
ちゃんとつま先立ちしてますし、手の形もキチンと手羽先形・・・! 将来が楽しみです。

話は夜遅くまで続き、非常に熱いトークが盛り上がったそうです。
なぜ伝聞形なのかと申しますと、疲労がたまってしまい私は寝てしまったため、結局聞けずじまいだったからでございます・・・(汗)

というわけで、次回に続く・・・!

白浜風土記(22日目) 冬風邪の時にもらったもの

日本全国どこもかしこも余りにも寒い。

せっかくなので、心温まる話でもしようと思う。

この記事を読んで、少しでも読者の皆様の寒さが和らげば幸いである。

先日まで全く更新がなかったのは、冬風邪のせいである。先日の大寒波で身体が冷え込んだせいか、はたまた変なものでも食べたせいか、連日の出張やら発表会の準備で身体が疲れてしまったせいか、腹痛と高熱(珍しく38度超えた!)で、二日ほど苦しんだ。馬鹿は風邪ひかないのに、奇妙なことである。

熱はともかく、腹痛は非常に辛かった。以前も半生焼けのレバーを食べてしまい、一週間以上も寝込んだことがあるが、今回は2時間に1回は厠に駆け込むハメになり、それが辛くてたまらなかった。

そんな時である。トイレから寮の部屋へと戻ろうとすると、入口に何かが置かれている。よく見ると、胃腸薬とアクエリアスが入った袋であった。

私はちょっと涙ぐんでしまった。仲間に感謝し、ありがたく薬とアクエリアスを戴いて休んだ。そのおかげか、翌日体調は全快し、全速力で丹波市へと駆けつけた。

寮の仲間には感謝してもしきれない。

ここで改めて御礼を申し上げたいと思う(もちろん本人の前で御礼は述べたが)。

なお、なぜ私が丹波に行ったかというと、それは第2回たんば恐竜塾に参加するためである。

そのお話は、また後日にさせていただこう・・・

白浜風土記(21日目) 大寒波来襲

朝起きると非常に寒かった。

トイレに行こうと廊下を歩くと、床が冷えていた。スリッパがないと非常に寒い。食パンを食べたあと外に出ると、身を切るような烈風が肌を切りつけてきた。

そう、大寒波がやって来たのだ。原付に乗っている時にも寒くて寒くて堪らない。残念ながら私には火を起こす魔法も、バリアを作る罠も使えない。冷たい雪風をその身に受ける恐竜の絵のごとく、風をその身に受けながら進むしかなかった。大げさな表現だがそれぐらい寒かったのだ。

白浜は暖かいイメージこそあるが、冬に関して言えばそんなことはないと断言できる。寧ろ、海風が強く吹き付けてくる分余計に寒い。

逆に札幌は雪こそ降るものの、風はそこまで強くないため、気温が低くても、意外と体感温度的にはそこまで寒くは感じない。厚着をしているのも大きいのだろうが。

南紀と北海道。どうしてこうも冬の体感温度が違うのだろうか? 人の感覚というのは面白いものである。

 

ところで、タイトルに『来襲』と書いていて思い出した。

『モスラ3 キングギドラ来襲』のタイトルは、竜の怪獣であるが故の秀逸なタイトル付けだったのだと、今更ながら気付いた。

内容からして、『モスラ3 超時空大決戦』とかでも良さそうなものだと昔から思っていたが、それでは凡庸に過ぎない。

タイトルの「来襲」は、超ドラゴン怪獣キングギドラと「襲」(に衣と書く)を掛けたのであろう。

龍の怪獣が宇宙から来襲する。漢字のセンスが非常にいいことが分かったのだ。

しかし、「だからなんだ」と言われると、返答に困るのも事実だが・・・